全国ニューシルバーパワーの会

65歳で専門学校に入り、建築関連の資格を取得

img01img02 大阪の千里ニュータウンで、シニア層の家庭に向けてリフォームおよびハウスクリーニング業を手掛けている田中敏雄さん。

 「シニア層を対象としているのは、同年代で事情がよく理解できということと。リフォームの二-ズが見込めるからです。ただし、営業的なハードルが高いので、気軽にオーダーしてもらえるハウスクリーニングも手掛けています」と営業戦略を説明する。

65歳の時に設立したケイハンサービスは、2度目の創業だ、1度目は39歳の時。自動車メーカーで16年間、経理や財務に携わった後、力-ペットクリーニング業で独立する。「銀行とのやりとりで交渉力が身に着いたことが自信になった」という。生活様式の変化でカーペットが普及し始めたものの、そのクリーニング業がほとんどなかったことに着眼。全国に点在する同業者を巡って手伝いながらノウハウを吸収した。立ち上げ当初は営業に苦労したものの、あるマンション管理人から「ネクタイをしているから信用できる」とマンション管理会社を紹介してもらい、一気に上向いた。

順調に経営を続け、65歳でリタイアを決めた。すると、力-ペットクリーニングの機材を借りていた同業者から会社の譲渡と顧問就任を要請され、応じる。

 「一気に時間ができて、また事業をやりたくなりました、そこで、競合しないリフォーム業をやろうと当社を創業したのです」

リフォームには建築の知識と資格が必要と、65歳で専門学校に入り67歳で卒業。一こんな高齢者で学校は戸惑ったのでは」と田中氏は笑う。創業後、以前の顧客が「やはり田中さんでないと」と戻ってきてくれた。地域にも浸透し、マイペースの事業を続けている。

2016.11.09更新

縄文時代に戦争が無かったわけ

縄文時代に戦争が無かったわけ

JJ日本塾 塾長 亀田喜一

 日本民族は「和」を最も大事にする民族である。人間同士の「和」のみならず、大自然との「和」をも大事にする。

 かつて三内円山の縄文遺跡を訪れた時、その1500年間の時代には大きな戦争が無かったということを聞いた。ということは弥生時代以降は戦争があったということだろう。それはどうしてかという答えは聞いた覚えがなかったので、私なりにずっと考えていた。

 そして最近、15年前に録画されたビデオを見る機会があり、三内円山遺跡の研究者が語っている言葉に出会った。 『縄文の時代は、武力による統治ではなく、かなり宗教的に優れた長老たちによる、宗教的統治がなされていたと思われる』と語っているビデオである。

 縄文人が世界の人類に先駈けて土器を発明し、生では食べにくい栗やどんぐりやその他の食材を土器に入れて煮ることで、野山や川や海の自然物の採取だけで十分な食糧を確保することができ、少ない食糧を取り合いせずに済んだのだということを最近知った。さらに、地方、地方で採れる食糧の種類や量に差があるので、村同士で物々交換をしたらしい。

 しかしそれだけではなぜ争いが無かったかとの問いの十分な答えにならない。食糧は十分でも、他人の物とか他人の奥さんを欲しがり、それを盗んで自分の物にすれば、そこに争いが生まれる。争いが大きくなれば戦争となる。そういうことも無かったということは何故なんだろう?

 そこで考えられるのは、高い宗教性から来る道徳律が当時すでに存在していたのに違いない。 縄文人はあらゆる物に神霊が宿っていると考えた。そして天から頂いたものは大切に使い、使いきったら大切に葬った。自分に与えられたもので十分であるとし、大欲を持たなかった。

 縄文時代には竪穴式住居にある期間定住するようになり、その結果、年寄りが大事にされるようになった。年寄りは仕事はあまり出来なくても宗教性や精神性に秀でており、経験と知識が豊富なので、毎晩囲炉裏を囲んで、若いものたちは年寄りの話に耳を傾けた。そのことはすでに述べた。

 さらに縄文遺跡の、墓地を中心にした村の構造から、死者の甦りを信じていたと思われる。「お祭り」は、死者をこの世に呼び戻し、ともに楽しむ時である。

 死者がすべて甦るとしたら、善人は甦って良い働きをしてくれるから良いが、悪人や恨みを持った人が甦るとどうなるのか?甦って悪事を働き、恨みを持つ相手に禍をもたらすだろう。そういうことがないよう、縄文人は「人と争うこと」や「人を殺すこと」を出来るだけ避けるような精神生活を心掛けたのではないだろうか。それによって平和な時代が長く続き、「和をもって尊しとなす」精神が定着したのであろうと推測するのである。

2016.09.23更新

日本人の宗教心について

日本人の宗教心について

J・J日本塾塾長 亀田喜一

   一般的日本人に「あなたの宗教は?」と聞くと「無宗教です」と答える人が多いが、多くの場合、神仏を全く信じていないわけでなくて、特定の宗教宗派に属さないという意味で言う場合が多いと思う。それが証拠に殆どの日本人は正月には神社にお参りし、お盆といえば故郷に帰り先祖を祀るし、葬式には仏式であれ何式であれ敬虔な思いで参列し、結婚式はキリスト教会で行い、車は神社でお祓いをしてもらう。そういうように、特定の宗教団体に属さずとも宗教行事に敬虔な心をもって参列している。これが現代の多くの日本人の宗教心だ。

  私は今、縄文文化に興味を持ち、独学中であるが、約1万5千年前から始まる縄文時代の遺跡から推測して、かなり宗教的な面が窺われるということを知り、驚いている。どんな民族もそれぞれ、人間の力の及ばない出来事に対して何らかの不可思議な力の存在を覚え、お祭りをすることによって荒ぶる霊を鎮めたりした。縄文人とて同様であるが、特に死人の蘇りを信じ、祖先を大事にし、また、火や炎に神性を強く感じていたに違いない。それが、世界で最も早い土器の発明につながったものと思われる。

   従来我々が教えられてきたのは、縄文時代の人々は日々、食糧を得るために毎日山野に獣を追いかけ、草木の実を拾い、川や海に魚類や海藻を求めるだけの生活だと教えられてきた。食糧を得るための日々の活動はそうだけれど、彼らの竪穴式住居や村の構造、そして土偶を含む縄文土器から見て、深い精神活動を行っていたであろうと推測される。土偶という、その時代からして世界に例のない、実用的でない焼き物が何の用をなしたかを考える事から始まるのである。

   縄文人は全ての物に精霊が宿るという思想を持っていた。目に見えない「精霊」を何とか形に表そうとしたものが土偶であろうと言われる。ただ人を象った人形でないことは、土偶に頭や手足がなかったり、頭があっても目鼻がないことで窺われる。時代がくだって顔に目がつくようになってもその目が、エスキモーの日除けメガネのように大きな目の真ん中に横に細長い一本の線が描かれている。縄文後期になると、現代でも通用するような優れた女性像が作られているが、やはり頭部に顔がない。すなわち、土偶は人形ではなく、目に見えない精霊というものを何とか形に表し、これらを握って願い事をするとか、飾って拝むとかに用いられたと考えられる。

  縄文遺跡の特長としてもう一つ顕著な事柄は、やや円形に配置された村の住居群の真ん中に墓地があることだ。その意味するところは、死んだ者は死んで終わりなのでなく、あの世で生き続け、今生きている者達の中心となっているという思想である。死者を大事にするというなら、なおさら生きている老人を大切に思わない訳がない。毎晩寝る前に囲炉裏を囲んで、若い者は年寄りの体験談や教訓に耳を傾けたに違いない。年寄りの経験談を聞くということは培われた文化の継承がなされるということだ。「動植物は採り過ぎると、翌年から採れなくなるから、気をつけないといけないよ」とか、「季節によってフグは毒を持つから注意しなさいよ」とか、そういう情報を上から下へ伝えたので文化が発達したのであろう。 竪穴式住居を一つ作るのにかなりの手間がかかったと思われるので、一箇所での定住期間は何ヶ月か何年かに及んだであろうと思われる。そういうこともあって老人は知恵の宝庫として重んじられたし、シャーマンという神がかった人がいたので、人々の宗教心は深いものがあった。そのように長年月培われてきた宗教心は、科学的な現代においても日本民族の魂に生き続けている。

2016.09.22更新

日本の優れた物作りは何が起源か

日本の優れた物作りは何が起源か

J・J 日本塾塾長  亀田喜一

 日本製の自動車や電気製品は故障が少なく寿命が長いことで世界中に知られている。それは品質管理技術が優れているからだ。世界のメーカーがそれを真似しようとしても出来ない。ただ、ドイツ人や台湾人だけは出来るようである。

 この日本の品質管理技術を生かし、世界各国のメーカーを指導し、製品の品質を向上させることで、突発的な事故を防ぎ、労力の無駄を省き、天然資源の浪費を減すことができると思う。故障が多く寿命の短い製品を多く生産すれば悲惨な事故が発生し、スクラップが増え、再生産の為の労力が費やされ、世界的な天然資源の浪費に繋がるからである。しかし上述したように品質管理技術を完璧に使いこなせるのは日本人以外にはドイツ人を始めとして少数の国民しかない。実際、宇宙ロケットの成功率を見ても、アメリカは日本に及ばないそうだ。品質管理が物を言うからだと思う。

 なぜ日本の品質管理技術が世界的に優れているかと言うと、物作りの精神は今を遡る1万年以上前の縄文時代からずーっと日本民族精神として培われ、途切れることなく伝えてきたからである。即ち「全ての物の中に神宿る」とした縄文人の宗教心から来るのであると私は見る。全てのものに神が宿るとなれば、それらを人間が勝手気ままに使うことはできない。神様から有難く頂いて、無駄にすることなく十分に使い切り、作る製品の中にも魂を込め、そして使った後の物に感謝して葬ったりした。貝塚はただのゴミ捨場でなく、使い切った物に感謝をして葬るお墓なのである。

  縄文時代には食料となる動植物を絶滅に追い込むほどに採り放題に採ったことはない。何か一種類でも絶滅させてしまうと、食物連鎖のバランスが崩れ、その影響は多種類の動植物の再生産に支障を来たし、それがひどくなるとその地域全体が砂漠化するのである。その辺りは賢い縄文人はしっかりと心得ており、自然環境を崩すことは決してしなかった。

 縄文土器が世界的に最も早く作られ、またその優れた芸術性は世界的に認められてきており、縄文の優れた火焔土器は一基1億円で取り引きされると聞く。古代においては芸術性は宗教性からきている。全ての物に神霊が宿るとするところから、鳥でも虫でも道端の石ころでも、いつも何かを「語って」いるのである。鳥や動物や虫や石ころや土器までも、恐らく、「神の創造した世界は素晴らしい!」とか「人生は素晴らしい!」と「語っている」のである。だから。虫の音をただの雑音としか聞けない人種と違って、日本民族はそれらを「楽の音」として味わうことが出来る、進化した人種なのである。

 以上の事を述べるのは、日本民族だけが優れていて、あとの民族は劣等だと言おうとするのでない。それぞれの民族それぞれの特徴を持っていて、それをお互いに尊重し、生かし、補い合うべきである。しかし特に日本民族は他民族の持たない特質を多く持っていることを自ら自覚し、人類の福祉に貢献する義務なり、使命があると思うのである。

2016.09.21更新

継続と変革

継続と変革

                              副会長 水野育成

 「継続は力なり」とよく言われる。確かに「継続」するには大変な力を要する。会報17号「NSPに想う」に、これに関する一文を載せたが当NSPは本年創立10周年を迎え、会報は20号を数えるに至った。毎月第2水曜に途切れることなく「月例会」を開催し、年2回の会報発行を継続してきた結果である。

 加うるに、本年1月12日は当会馬杉会長の満100歳の誕生日である。誠に慶賀に堪えず、喜ばしい限りである。

 「NSPの力」は「継続の力」である。「歌いつぐ会」「生活習慣病撲滅運動」「昭和の日記念行事」など常に大きな目標を掲げ、挑戦を続けてきた。それぞれのイベントの存続にかける意欲と努力が「継続の力」になったのである。

 このことからすると、挑戦すべき目標の設定が「継続」のための欠かすことの出来ない大きな要素である。NSPの基本理念は「健全な日本人の心を取り戻す」ことである。

 この理念の基に挑戦すべき目標を設定し、その実現と存続に努力することが「継続の力」=「NSPの力」になると思う。

 米国は「チェンジ」を旗印に,初の黒人大統領を誕生させた。我が国も自民党から民主党への政権交代が実現した。国の態勢を大きく揺り動かす大転換を迎えたのである。世界の動きもG8からG20へと大きな流れを見せており、世界経済不況、気候変動、新型インフルエンザ(パンデミック)等々地球規模での対応が急務であり、まさに大変革時代に突入したと言える。

 変化には時の流れの様な自然の変化と地球温暖化の様な人為的変化があるが、その人為的変化は「時の流れ」以外の全ての変化に影響を与え、美しい日本の四季をさえ奪おうとしている。人為的変化の最たるものである地球温暖化の元凶は温室効果ガス(CO2)であるとされており、その排出量削減目標(1990年比2020年)を25%とする鳩山イニシヤチィブが国際公約として宣言され物議を醸している。

 反対意見の大方は経済活動(発展)の阻害になる、生活負担(コスト)が増大する。と言ったところであるが、それでは経済活動の目的とするものは何であろうか。人間社会の安全と平和(幸福)だとすると、人間の生命をも脅かすCO2排出の削減に挑戦する覚悟を世界に向け発信し実行することこそ、ここまで経済発展を遂げてきた日本の責務ではないだろうか。

 この様な状況の中、当NSPのことを考えると、この10年間の「継続の力」をエネルギーに更なる継続を目指さねばならないと思うが、それにはこの10年間を一段目のロケットとすれば、今や二段目のロケットに点火する時だと思う。

2016.08.03更新

日本民族の世界的使命について

日本民族の世界的使命について

J・J日本塾 塾長 亀田喜一

 前述したように、日本人の食文化を始めとして、精神文化においても他の諸民族より5千年古いと言えるので、何から何まで優れているのだと思う。世界の諸民族が、種族同士の戦いを経て勝ち残った種族であるのに対して、「和をもって尊しとなす」ことが民族生き残りに最も大事であることを歴史を通して学んできた日本民族の方が、民族として優れていると思う。世界中で最も古い文化を持ち、しかも、東西文化の融合、古今の文化の統合に長けた日本民族は、行き詰まった現代文明に対して、新しい文明を拓く鍵と使命を有していると思う。今後、世界の諸民族が、平和を愛する日本の精神を積極的に取り入れるならば、世界に平和が訪れると思う。

 今、日本のマンガ、アニメが世界の若者の心を捕えており、日本的な考え方が世界に広がりつつあると聞く。「勝つか、負けるか」が、物語の結論でなく、「仲良くなって良かったね!」というのが日本のマンガの主たる結論であるところが世界の若者に受けているらしい。

 優れた日本文化を受け入れて継いでくれる他の民族はどの民族かを考えると、現時点で真っ先に浮かぶのは台湾人であろう。「台湾人」は大別して「内省人(ないしょうじん)」(古くから台湾に住みついている種族)と「外省人(がいしょうじん)」(最近中国大陸から移住してきた種族)の2種であるが、日本人の心に一番近いのが内省人である。台湾の文化も技術も、出来るだけ日本式を導入してもらえるよう、働きかけたいものだ。ただし日本の教育は少しは良くなったが、台湾の方が古い日本の精神を生かしているから、日本は逆に台湾に学ぶと良いと思う。


 東南アジアの中でもベトナムは最近、小学校での第一外国語に日本語を加えたとのことで、より深く日本に学ぼうとの意思の現れである。その他東南アジアではインドネシアやシンガポールが日本式の管理方法を色々な面に応用しているらしい。エチオピアでも「カイゼン」と称して、小グループ活動で自らの環境や管理方法の改善を行って効果が出ているらしい。

 日本の若者には台湾やベトナムや東南アジア諸国に出かけて行き、日本語および日本文化を広めることをしていただきたい。その前に日本文化を十分に学び、身に付けてから出かけて頂くことは当然である。私はそのために出来る限りの援助なり、手助けをしたいと思っている。

 海外からの留学生に願うことは、技術や医療その他の勉強よりも、日本語と日本文化の勉強に力を入れて貰って、やがて彼らの出身国に持ち帰り、学んだものを伝えて欲しいと思う。そうすることによって、地球上に新しい世紀が始まるのである。

世界に誇るべき縄文文化

2016.07.27更新

日本人はなぜ優秀かの一考察

世界に誇るべき縄文文化

J・J日本塾 塾長 亀田喜一

 日本文化は世界的にも独特の文化であり、世界中探しても同類の文化は見当たらないと言われている。そして言葉も芸術も技術も料理も、平和を愛する心も、自然を大事にする心も他民族に比べて格段と優れている。

 具体的に日本文化が他国の文化よりも優れている点を上げて見よう。

 中国人でも、日本語を話すことにより、心が穏やかになるというように、日本語は不思議な平和的な言葉なのだ。自然を大事にすることについては、例えば、生魚を食べる刺身や寿司は、自然の持ち味を存分に生かした食べ方である。山の木を伐採する時は山の神様にお祈りをして神様のお許しを得てから伐採し、伐採したらそのあと必ず植林して、禿げ山になることを防いでいる。他の国では木を伐採したあと植林するということをしないので禿げ山になるし、洪水の原因になる。

 技術面で言えば、世界一よく飛ぶ砲丸投げの砲丸を削り出す、東大阪の職人がおられたが、残念ながら後継者を育てることなく亡くなってしまった。日露戦争でも大東亜戦争でも敵をもいたわる態度や処置をなした。中国で十分定着しなかった仏教は日本で完成した。西洋キリスト教は人類の救いには必ずしもなっていないが、日本的キリスト教は世界を救う性質を持っている。中国で発明された尺八や琴は日本において、より良い音色が出るよう改良された。その他日本産の自動車や電気製品の故障の少ないこと、使う人への思いやりが行き届いていること、新幹線の死傷事故が皆無であることと運行ダイヤの正確なこと、最近ではフィギュアースケートの羽生結弦は、彼に続く二位の選手との差を格段に離して優秀な成績で優勝した。等々挙げれば切りがないほど、日本の何もかもが他国よりも優れていると言って過言でない。

 以上のような日本民族や日本文化の優勝さはどこから来るのだろうかと私はずっと考えて来た。その一つは海に囲まれていて気候温暖にして栄養豊富な海産物に恵まれていること、日本が東洋の最東端に位置し、混血をし、世界中の優れた遺伝子を伝え、世界の文化を集めて吸収して、より優れたものに築き上げたことは確かだ。

 以上のような条件よりももっと根本的な理由が縄文文化にあることが最近分かってきた。

 私はかつて青森の三内円山の縄文遺跡を訪ねた際に、かつてのこの時代はとても平和で、戦争が無かったと聞いた。それは食糧が豊富であったことが一つの理由と考えられる。しかし南方の島々のように気候が常に温暖で、バナナやマンゴウが食べきれないように豊富だったのであろうか、そんなことはないはずだ。取れた農作物をいつも豊かに保存する知恵を持っていたのであろうか。

 そういう疑問をずっと抱いていたが、最近「縄文を考える」(小林達雄著)という書物を読んで、驚くべき答えを見出だした。

 それによると、縄文土器が世界一古い年代から作られていたということが分かってきたことだ。他文明圏の土器の始まりが5千年前くらいであるのに対して、日本では1万年前から始まっていたという。

 土を焼いて土器にする技術を最も早く生み出した日本人が、その土器を使って動植物を煮炊きすることにより、生では固かったりまずかったりして食べにくい物を、食べ易くした結果、食べることの出来る動植物の種類が格段に多くなったというのである。秋には栗やどんぐりが沢山実るし、これを煮たり焼いたりして食べ、食べきれないものは長期間保存することも出来ただろう。従って野山の自然を大事にさえしておけば、十分な食糧を採取出来たと考えられる。こういうことで、日本人は大自然の全ての物に精霊が宿ると考え、自然を大切にするようになったのだ。

日本民族の世界的使命について

2016.07.26更新

NSP・シルバー川流 二十八年六月選

孫たちに 負けじと階段 駆け上がり 
探し物 孫に頼めば すぐ見つけ
孫たちと 暮せば自ずと 若返り
孫たちと ともに食せば みなうまい
孫たちに 教えられたり 教えたり
亀田 喜一

気合い入れ スタートしたが 窒息する
約束した 笑顔でゴール 夢遠く
レース中 横で走る人 まねたいね
南博之

欲出すと 逃げ出す 金と人の和も
自転車を 押して歩く 散歩道
母からの たどたどしい文字 身に染みる
ラブレター 書いたが送らず 胸の中
笑う顔 嘘はきっちり ばれていた
田中敏雄

貧しいが 子多く生んだ 昭和の母
(尊敬の気持ちです)
グローバル化 叫び気付けば 乗っ取られ
(府・市は、大阪都構想にばかり力を入れ、台湾にシャープを乗っ取られ、残念)
危機迫る 何、寝惚けるか 安保拒否
(野党もいい加減にせよ!)
暴露記事 国を滅ぼす ことなかれ
(週刊文春他よ、いい加減にせよと言いたい)
外国に 良さ指摘され 自虐止め
(自虐教育を排除せねば日本の将来はない)
池永 孝

シールズに ジールズ・バールズ 若返り(?)
セコイ知事 選んだ都民 目を覚ませ
十八・九 スマホじゃ投票 出来ないよ
安保法 裏を返せば 戦争法(?)
水野育成

2016.07.03更新

第16回総会のご報告

   第16回総会のご報告

 平成28年6月25日(土)午後1時より、北新地「モリシタ」にて第16回全国ニューシルバーパワーの会総会が開かれました。懇親会も含めて12人のご参加があり大変な盛り上がりをもって終了いたしました。

 会の活動としまして大きく変わるところは、月例会を廃止し、インターネットなどを用いて、普段のお互いの情報交換を行い、年に3~4回の会合を企画し交流を行うことになりました。

 NSPのホームページのほかに、やがてメーリングリストによってよりたやすく情報交換ができるようにしますので、メールアドレスを未申請の方は申請をお願いいたします。(事務局からお伺いします)

 総会議案はすべて承認されましたが、今年度予算案で、支出が収入を大幅に上回っており、このままでは来年は赤字となり、活動は続けられませんので、会員の皆様には会費の納入を忘れずにしていただき、新規会員の勧誘を心がけて頂きたいと思います。

 以上簡単ですが、総会のご報告をさせていただきます。

NSP 会長 亀田喜一

2016.06.28更新

NSP通信28年6月号 巻頭言

NSP通信28年6月号 巻頭言

会長 亀田喜一

 NSPは現在、例会に参加する人が少なくなり、会費の集まりも悪く、一見衰退傾向を示しているようですが、最近でも入会される方もありますし、NSPの使命は終わったとは決して思っておりません。反って、憲法改正などの最重要案件が目前にあり、これを阻止しようとする勢力が勢いを増しているこの時こそ、益々日本の心の回復が強く願われます。

 NSP例会への参加者が減るのは、私が新潟から毎回は参加出来ないことや、会員皆様の体力的ないし経済的要因等によるものと思いますが、皆様の、国を思う熱い心には変わりはないと思います。

 ただ、当会の活動形態を時代の流れに沿って変えて行くことが必要だと思います。すなわち、我々は、馬杉名誉会長が90歳代で気力、記憶力とも抜群で、毎日のようにあちこち奔走され、毎月十数人集まられたようなことは、今は困難な状況です。現代は、家に居ながら電話やFAX或いはインターネットで情報を入手出来たり、生活用品を手配出来たりするので、外に出かけて何かするということにどうしても億劫になっているように思います。

 そうならば、我々も電話、FAX、インターネットを最大限利用して、ある意味もっと活発に活動出来ると思うのです。そして皆で集まってどうこうするのは総会とか小旅行の、1年に何回かでいいと思うのです。

 我々の年代の者たちはインターネットや電子メールに不得手なのですが、次第に高齢者でも使い易いタブレットやスマホも出てくると思います。NSPも「昭和の日」実行委員会の森川さんのお助けにより、ホームページを開設することが出来ました。NSPの会員であればどなたでも文章や俳句・川柳や写真の発表ができますので、大いに利用していただきたいと思います。ホームページの扱い方につきましては、順次説明して参ります。

 黙っていると日本は良くない方向に流れて行きます。より良い日本となるよう、世の流れを良く見据えて、言うべき事を言い、若い人たちをより良い方向へ導いてゆくのが年配者の責務だと思います。皆様、ご自覚のほど、宜しくお願い致します。

2016.06.27更新

2016.11.09NSP通信65歳で専門学校に入り、建築関連の資格を取得
2016.09.23NSP通信縄文時代に戦争が無かったわけ
2016.09.22NSP通信日本人の宗教心について
2016.09.21NSP通信日本の優れた物作りは何が起源か
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2016.07.27NSP通信日本民族の世界的使命について
2016.07.26NSP通信日本人はなぜ優秀かの一考察
2016.07.03NSP通信NSP・シルバー川流 二十八年六月選
2016.06.28NSP通信第16回総会のご報告
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