全国ニューシルバーパワーの会

縄文時代に戦争が無かったわけ


縄文時代に戦争が無かったわけ

JJ日本塾 塾長 亀田喜一

 日本民族は「和」を最も大事にする民族である。人間同士の「和」のみならず、大自然との「和」をも大事にする。

 かつて三内円山の縄文遺跡を訪れた時、その1500年間の時代には大きな戦争が無かったということを聞いた。ということは弥生時代以降は戦争があったということだろう。それはどうしてかという答えは聞いた覚えがなかったので、私なりにずっと考えていた。

 そして最近、15年前に録画されたビデオを見る機会があり、三内円山遺跡の研究者が語っている言葉に出会った。 『縄文の時代は、武力による統治ではなく、かなり宗教的に優れた長老たちによる、宗教的統治がなされていたと思われる』と語っているビデオである。

 縄文人が世界の人類に先駈けて土器を発明し、生では食べにくい栗やどんぐりやその他の食材を土器に入れて煮ることで、野山や川や海の自然物の採取だけで十分な食糧を確保することができ、少ない食糧を取り合いせずに済んだのだということを最近知った。さらに、地方、地方で採れる食糧の種類や量に差があるので、村同士で物々交換をしたらしい。

 しかしそれだけではなぜ争いが無かったかとの問いの十分な答えにならない。食糧は十分でも、他人の物とか他人の奥さんを欲しがり、それを盗んで自分の物にすれば、そこに争いが生まれる。争いが大きくなれば戦争となる。そういうことも無かったということは何故なんだろう?

 そこで考えられるのは、高い宗教性から来る道徳律が当時すでに存在していたのに違いない。 縄文人はあらゆる物に神霊が宿っていると考えた。そして天から頂いたものは大切に使い、使いきったら大切に葬った。自分に与えられたもので十分であるとし、大欲を持たなかった。

 縄文時代には竪穴式住居にある期間定住するようになり、その結果、年寄りが大事にされるようになった。年寄りは仕事はあまり出来なくても宗教性や精神性に秀でており、経験と知識が豊富なので、毎晩囲炉裏を囲んで、若いものたちは年寄りの話に耳を傾けた。そのことはすでに述べた。

 さらに縄文遺跡の、墓地を中心にした村の構造から、死者の甦りを信じていたと思われる。「お祭り」は、死者をこの世に呼び戻し、ともに楽しむ時である。

 死者がすべて甦るとしたら、善人は甦って良い働きをしてくれるから良いが、悪人や恨みを持った人が甦るとどうなるのか?甦って悪事を働き、恨みを持つ相手に禍をもたらすだろう。そういうことがないよう、縄文人は「人と争うこと」や「人を殺すこと」を出来るだけ避けるような精神生活を心掛けたのではないだろうか。それによって平和な時代が長く続き、「和をもって尊しとなす」精神が定着したのであろうと推測するのである。

2016.09.23更新

2016.11.09NSP通信65歳で専門学校に入り、建築関連の資格を取得
2016.09.23NSP通信縄文時代に戦争が無かったわけ
2016.09.22NSP通信日本人の宗教心について
2016.09.21NSP通信日本の優れた物作りは何が起源か
2016.08.03NSP通信継続と変革
2016.07.27NSP通信日本民族の世界的使命について
2016.07.26NSP通信日本人はなぜ優秀かの一考察
2016.07.03NSP通信NSP・シルバー川流 二十八年六月選
2016.06.28NSP通信第16回総会のご報告
2016.06.27NSP通信NSP通信28年6月号 巻頭言